偏在する調和
「・・・海はまだヤルタやオレアンダがなかった頃も同じ場所でざわめき、私たちがいなくなったあとも同じように無関心にざわめきつづけるだろう。その恒久不変性のなかに、私たち一人一人の生や死にたいするこの全き無関心のなかに、恐らくは私たちの永遠の救いや、地上の生活の絶え間ない移り行きや、絶え間ない向上を保証するものが隠されているに相違ない・・・・」(犬を連れた奥さん)
現在の私たちは自然が恒久不変のものでないことを知っているが、だからといって「地上の生活の絶え間ない移り行きを保証するもの」が弱まったとは少しも感じられない。
「・・・悪がどんなに大きかろうと、夜はやはり静かで美しく、この世には同じように静かで美しい真実と言うものが現在も未来も存在するのだ。そして地上の一切のものは、月の光が夜と溶け合うように、その真実と溶け合うことをひたすら待ち望んでいるのだ・・・・」(谷間)
ここにはないがどこかにある調和、今はないがいつかはある調和という考えは、この時期のチェーホフの作品をつらぬき通している。
チェーホフの訳者小笠原豊樹氏のあとがきから抜粋してみた。
写真は一週間ほど前の岩手公園。そのあと雪が降った。
私のブログのテンプレートが似合う冬がやってきた。
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