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2008年11月

一年・・・区切りの時。

ガラス窓から朝日が入って
足元のカーペットに小さな虹を作った。
やぁ~~
ベージュのカーペットに ほんの20センチばかりの小さな光のプリズム。
慌しい時間の中で、思いがけなく踏んづけそうな虹を見つけて、心が躍り立ち止まった。

去年の12月1日から書き始めたブログは一年だけと、期限を決めていた。
忙しくて書けないまま、ここ数日後ろ向きで書いたブログは
やっと11月30日の日付を記して、今日でオシマイ・・となる。

まだあれもこれも書いていない・・との思いはあるけれど、
最後のこの日を迎えると・・書けなかったものは書かないままでいいのだ・・・と
そんな気がしてきた。
自分を取り巻く環境も、人々との関係も、自分の心の内側も
一つところには留まっていない。
どんな時代も・・行く川の流れは絶えずして・・だ。
書かずにいたら、一週間前は何をしたかさえ忘れていただろう生活が
拙い文章であっても、兎にも角にも一年間書くことによって
自分の心のありようがどんなところに重きを置いているのかが、何となく確認できたような気がしている。いつも心に掛かっていてもここには一度も書けなかった人も、書けなかったことも、いろいろあったけれど、これは ず~っと引きずっていくしかない。そうして、引きずりながらも 私は私でしかないのだから、引きずる物や人には代われないのだ。ただ、祈ったり願ったり私なりに出来ることを努力してするしかできない。
いろんな人たちに影響を受けながら、良いことも悪いことも教えられているのだと思う。
きっと無駄なことは一つもないのだろう・・。
真面目臭いことを書いてしまったけれど、全てのものに まだまだ、まだまだ・・・心が反応する。
何も無い一週間、一ヶ月、一年ではないのだ。
今年も残すところ一ヶ月を切り、新しいカレンダーも今日出来上がってきた。
ディナーの予約、イベントの予定、など書き込むことも既にある。
娘は一年ぶりにまた一ヶ月の予定でミラノ行きを知らせてきた。
お世話になった方たち、私を支えてくれる方たちに心から感謝し、頂いたご恩は私も少しでも世の中にお返ししたいと考えている。
直接、手をとって温めてくれるような人には、私も同じように温かさをお返ししたい・・・。
ありがとう・・・。

カーペットに、虹を見たその時に、そばのテーブルの上には偶然とは思えないように
手始めに・・と買ったばかりの パステルと もらった紙見本の数冊がのっていた。
虹のようにきれいな色が並んでいた。
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ありがとう

夫は5月で60歳になった。なぜか今頃になって「還暦パーティー」が、友人・知人たち数人の呼びかけで大分前から秘密裏に計画されていたようで、29日6時から、駅前のホテルに招待された。
もう何年も会っていない昔の社員たちや、仕事関連のお得意様や、お世話になっている先輩の方たち、業界の方たち・・遠くは一関や八戸からまで来て頂いて、申し訳なくもお祝いをしていただいた。こちらはつい最近になるまで「知らなかった」訳で・・参加者リストなどにこちらの希望などは言えず?・・・・とにかく最後まで「知らなかった」で通してしまおう・・と、なんとも不思議な気持で会場に出かけた。勝手に企画されてどうなることかと内心心配していたが、マイクを向けられた方たちは、まぁ、皆さんよく話が尽きずに、次から次へとお話しいただいて賑やかだった。一本締めでお開きになった後は、私も誘われて身近な人たちと二次会・三次会まで続いた。家に帰りついたのは真夜中の1時半を回っていた。
今回、この様な機会に考えたことは、何はともあれ、企画してくれる人たちがいて、そしてお忙しいのにいらしてくださる方たちがいて、何てありがたいことか・・ということ。たくさんの方たちに支えられながら、私たち二人は結婚以来、一度も入院や大病を経験することなく健康でここまで来られたことを感謝しなければならない。
60歳。節目の歳だ。私は考える。これまでの長い道のり・・。小さな会社だが32年目になっている、子供達、孫達・・母、そして私・・と責任ある対象はいくつもあり、夫はそのどれをも一生懸命守ってきたと思う。一生懸命やってきても、なかなか思うように行かなかったこともいっぱいあっただろうが・・とにかく頑張ってきたと思う。意識のリセットには還暦という節目はとてもいいものだろう。これからは少しずつ、肩に入れていた力をフェードアウトしてもらっても構わない・・(・・と・・私は思っている)。これからの10年から15年のことだろう。健康で、したいことが楽しく出来るのは・・・。まだまだ、現役からは離れられないだろうが、私の気持としては背負ってきた(軽いか重いか分らないが・・・)「荷」を少し、軽くしてあげたい気がする。○○の・・・という肩書きを抜きにした、個人としての時間、個人として立つ場を素敵なものにしていって欲しいと心から思う。
還暦のパーティーで夫は企画してくれた方たちから「感謝状」なるものをいただいた。私も何をあげるか考えた時に思いつくものは 『ありがとうの感謝の気持』しかない。ありがとう。

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ESPRIT MARY チョコレートの箱に

005 アクセサリーがいっぱい入っている。
夫からのプレゼントが多い。
はじめてもらったネックレス、大通りにあったS宝石店(老舗だったこのお店は今はもう無い)で買ってもらった小さなダイヤの婚約指輪、長男が生まれたときに記念に買ってもらった大きな誕生石ガーネットの指輪、その他にも付き合いで買わされた?と・・ダイヤとサファイア、半額だった・・と金のブレスレットやチェーン・・などなど。太くて長くて重い、金の鎖・・をもらった時はさすがに「これは私は出来ない。一生付けられないと思う」と言ったものだった。夫、応えて曰く、「何かの時には質草になるはずだ」と・・。そのチェーンは今年初めにイタリア行きが決まっていた時に、たまたま見た新聞に黒いセーターに太いネックレスをした女性の写真を見て、「短ければ身につけられる!」と思い立ち、近所にあるアクセサリー加工店に相談に行った。切ってしまうのはもったいないよ・・と言われてよくよく考えて、金具をチェーンの途中に付け替えてもらった。余った部分はそのままプラプラ・・目障りな時には後ろに回してしまえ・・・との思いだった。加工賃は確か2000円。「ここに金具を」と指定しただけだったので、簡単だったのだ。出来てきて以来、結構重宝して使った。ユニクロの800円の黒のタートルでもこれ一つつけると、ハッタリのようによそ行きにもなった。Photo 家にいる時の私はアクセサリーを身につけることはない。出かけるときだけチョコレートの箱を出してその時の気分で大抵は、指輪と、ネックレスと時計をつける。帰って来ると真っ先にまたチョコレートの箱を取り出して、仕舞う・・・この繰り返し。
今一番付ける機会が多いのは昔夫の友人達3人が連名で私にとプレゼントしてくれた金の短いネックレスと私が20年前15,000円で買ったTさんの手作りの指輪。歯科技工士さんだったTさんは金線細工がお得意で、彼女の作ったリングは楽に指に嵌められてかわいいと思った。ちょうど私が短い間、店に勤めていた頃だった、訪ねてこられて、私は彼女の作品をK店の店長に紹介することになった。後にも先にもそんなことは無いことで・・「いい」と思わなければそれもしなかったことだ。・・試しに置いてみましょう・・ということで彼女の作品は店のガラスケースに常時置かれることになり、その後しばらくして、彼女の作品が中央のジュエリー展で賞をもらい、新聞に大きく取り上げられた。その後は紹介した店で企画展を催してもらえるほどになっている。訪ねて行った企画展ではよく売れていた。「今あるのは眞理子さんのおかげです」とお礼を言われたっけ。チャンスは与えられたかもしれない・・・。彼女の指輪は飽きずにずーっとし続けている。そこが彼女の力だと思う。
ガッチリとハードなチョコレートの紙箱。中には1000円のビーズ細工のイヤリングから夫や私にとっては手が届くくらいまでの高価なジュエリーまで一緒くたに入っていて、毎日のように出したり仕舞ったりしている。これからも身にはつけるだろうが、もう増えることは無いだろう・・・。アクセサリーはもう要らない。今あるのだけで十分だ。休日などは、窮屈なものはつけない・・アクセサリーや、化粧や、下着さえも・・・つけない自分が 楽で 好きだ。

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福田パン

創業60年ときく「福田パン」は隣の町内、母の家や駅に行く道の途中にあり、いつも店の前を通る。5時近くなっていたのに今日母の家に向かう途中、店がまだ開いていた。日が暮れるのが早く、辺りが真っ暗な中、お店の明かりがなぜか呼んでいるように見え、吸い寄せられるように車を駐車場に入れてしまった。お店の中には3・4人のお客様がいて、お店には初めての様子だった。ずらりと並んだペーストの中から何を選んだら良いのか迷ってしまっていたようで「お先にどうぞ」と言われた。私は、バナナ、ミルク二つとコーヒー、モカ一つをプラス10円のスペシャルでお願いした。福田パンは隣県のスーパーなどにもパンを並べて出しているが、ここ本店では、対面販売をしている。殆ど100パーセントと言っても良いだろうが、置いているものは大きな柔らかいコッペパン。そのコッペパンにナイフを入れ見開き状態にしたものに、缶に入ってたくさん並んでいるスプレッドペーストから好きなものを選んで注文するのだ。餡・バター、ジャム・マーガリン、ピーナツ、イチゴ、メロン、ツナ、サワー、などなどたくさんある。今日は片面にコーヒー、もう片面にモカを塗ってもらいビニール袋に入れるときはもちろんそのパンをパタンと閉じて、つまりミックス味になるのだ。スペシャルと言えば一個130円のパンは、ペーストがよりたっぷり塗られて10円高くなるのだ。今日は母へのお土産に一個と思ったのだ。母は福田パンを知らなかった。スーパーでも買って食べたことがなかったらしい。「へぇ~?」と言いながら、母は袋を開けてパンをちぎって味見をした。「おいしいなぁ~」母は気に入ってくれたようだ。「明日のお昼にする。楽しみだ・・」とも言った。そしてパン代140円を私によこした。「持ってきてもらうものはありがたい。だけどお金はきちんと取って・・」と母は言う。私は受け取った。
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福田パンは一個食べるとお腹がいっぱいになるボリュームがあるパンだ。半分か1/3の大きさだったらいいのに・・という人もいる。盛岡に行ったら福田パンの店に行ってみたいという人も多いようだ。
お客はやはり女性が多い。飛びっきりの美人を従えたダンディーな紳士・・・というような人は見たことがない。庶民 ・・が似合うお店だ。

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愛しの車

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このところ、毎日のように通っている実家の母の家の車庫。
紺色のクラウンは父の車だった。年が明ければもう5年になる。父が亡くなってからも母は思い出深い父の車を車庫から無くすことが出来ずに車検をし、時たま私に、郊外へ遠出する時、買い物する時、父の月命日にお寺に行く時、動かして欲しいと頼む。大きくて重い車だ。亡くなる前の数年間は父はもう車を運転することが出来なくなっていたけれど、この車は父が母を乗せて、北陸や京都の方まで数日かけて観光して歩いた車だ。車を処分すると思い出までなくなりそうで、母は手放せないのだろう。
隣に入れたグレーの車は私の車。もう12年も乗っているマツダのファミリア、36000キロしか走っていない。無駄なようだけれど・・・私には必要な車。私のほっとする自由時間の象徴のような車。音楽をかけ、山々を見ながら走る時間はかけがえのない時間だったが、オーディオ部分がもうダメになって、音楽が聴けなくなった。それでもやはり、私にとっては愛しの車。泣きながら母の所から帰ったり、心が解放される至福の時間を過ごしたり、良い事も悪いことも見てきた車。もう少し乗りたいと思っている。
今年還暦を迎えた夫は赤いチャンチャンコの代わりに105_003
赤い車に買い換えた。マツダのスポーツタイプのアテンザ。2500ccの車は重たくて、私は一度だけハンドルを握ったことがあるが、ボウズのステレオや、最新式のカーナビや・・・やたらピカピカの機器類が付いていて、はっきり言って・・苦手だ。
還暦になったのだから、そろそろ自由時間を作って、
新しい車でも買って、母とドライブを楽しんで・・・と次男に言われたとか・・・。・・と言いながら「5年経ったら、もらうから・・」との付け足しもあったようだが・・。次男は今は気に入って「軽」に乗っている。エコが言われている時代、分っているけれど、みんなマイカーが手放せない。

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coffee time

コーヒー豆屋さんのブレンド豆(@280円)を昨日は300グラム買った。Coffee_time
長いこと使っている豆挽き器を使い、
無漂白のフィルターをセットしてコーヒー用のヤカンでドリップする。
特別美味しく淹れられるわけではないが、
私にとってコーヒータイムは欠かせない大事な時間だ。
出かけるときは500ccポットに詰めてプラスティックのカップを忘れない。
コーヒータイム・・・心が解放される至福の時。

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偏在する調和

「・・・海はまだヤルタやオレアンダがなかった頃も同じ場所でざわめき、私たちがいなくなったあとも同じように無関心にざわめきつづけるだろう。その恒久不変性のなかに、私たち一人一人の生や死にたいするこの全き無関心のなかに、恐らくは私たちの永遠の救いや、地上の生活の絶え間ない移り行きや、絶え間ない向上を保証するものが隠されているに相違ない・・・・」(犬を連れた奥さん)
現在の私たちは自然が恒久不変のものでないことを知っているが、だからといって「地上の生活の絶え間ない移り行きを保証するもの」が弱まったとは少しも感じられない。
「・・・悪がどんなに大きかろうと、夜はやはり静かで美しく、この世には同じように静かで美しい真実と言うものが現在も未来も存在するのだ。そして地上の一切のものは、月の光が夜と溶け合うように、その真実と溶け合うことをひたすら待ち望んでいるのだ・・・・」(谷間)
ここにはないがどこかにある調和、今はないがいつかはある調和という考えは、この時期のチェーホフの作品をつらぬき通している。
    チェーホフの訳者小笠原豊樹氏のあとがきから抜粋してみた。
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写真は一週間ほど前の岩手公園。そのあと雪が降った。
私のブログのテンプレートが似合う冬がやってきた。

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雪だるま

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近所の駐車場の片隅に
中国人の子供、小学生のお兄ちゃんとまだ小さい妹が、雪だるまを作っていた。
「雪だるま作ってるんだよ!壊さないでね・・」と言った。
「大丈夫、壊さないよ・・かわいいね~」と答えた。
帰りに通るともう子供達の姿は無く水分の多い雪だるまだけが本当に可愛いお顔をして並んでいた。
よく見ると右側の雪だるまには花が挿してある・・・。
お兄ちゃんが妹の雪だるまに挿したものか・・・。
この 花を挿すという行為のでどこ・・  忘れないでほしいと、強く思った。
わたしは
家からデジカメを持って戻り、
幸せな雪だるまたちを長いこと眺め カメラに収めた。

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困る・・

・・・と義母が言う。
街がどんどん変わって、町内もまた同じに変る。
スーパーの中の洋品売り場、毛糸などを売っていた「ひつじ屋さん」、
糸やゴム紐・手芸洋品などと一緒に化粧品やちょっとした洋服なども売っていた「くどう商店」、中高年対象の洋服を置いていたお店、歩いていけるDデパート・・・これらのお店で売っていたシャツ、パンツ、靴下・・等、義母が気軽に歩いて買いに行ける下着屋さんはもう無くなった。
中心部のデパートには、高級ランジェリー、若者のカラフルなフリルの付いたものなどはあっても、実用的な木綿100パーセントの下着などはなかなか見つけ難くなっている。
先日、母に頼まれ大型ショッピングセンターイ○ンにズボンを買いに行った時、義母にも冬になるからと、長ズボン下やシャツ・パンツ類をまとめて数点買ってきてプレゼントした。化繊のものはダメな義母に合うようなものを探すには結構時間がかかった。「ありがとう」と義母は心から喜んでくれたが、不便を感じている年配者がきっといるのだろうと、あらためて商店の変容を考えさせられた。

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半日散歩

先日、ふらりと岩手の名前の由来のある鬼の手形で有名な三石神社に行ってみた。1116001
昭和57年発行の岩手の旅という小冊子に「岩手の地名の由来」が書いてあるので抜粋してみる。

岩手の地名の由来には、いくつかの説がある。「大和物語」に”平城天皇の御代にみちのくの国から鷹が献上され帝がこれに「岩手」と名付けた”とあるのがその起こりといい、また「夫木集」に「くちなしの 色とぞ見ゆる みちのくの 岩手の里の 山吹の花」とある一首がその由来でもあるという。しかし、地名の由来については、面白い伝説が語り伝えられている。盛岡市内三ツ割の東顕寺の裏に、それぞれ注連縄が張られた三個の大石がある。この石は岩手山が噴火した時に飛んで来た石といわれ三ツ石さまと呼ばれていた。この頃、羅刹鬼(らせつき)と呼ばれる鬼がこの地方に住みつき、里人や、旅人に悪業のかぎりを尽くしていた。恐れ困り果てた里人たちは「何とぞ、悪鬼をとりしずめ給え」と三ツ石さまに祈願した。祈りの効き目はたちまちあらわれ、羅刹鬼は三つの大石に縛りつけられてしまった。ビックリ仰天した羅刹鬼は「もう二度と悪さは致しません。二度とこの里にも姿を見せませんからお許し下さい」と目に涙を浮かべて哀願した。三ツ石の神様も”鬼の目に涙”に打たれたか、「二度と悪さをしないというシルシをたてるなら」といわれた。羅刹鬼はしばらく考えたすえ、三ツ石の上に”ペタン、ペタン、、と手形を押して南昌山の彼方に去り、二度と現れることはなかったという。いまも雨あがりの日など「鬼の手形」らしきものが石の上に見えるという。それ以来、この地を”岩手の里”と呼ぶようになり、また「二度とこの土地に来ない」と誓った鬼の言葉から盛岡の古い名である”不来方”(こずかた)の名が出来たという。さらにいまもこの地方に伝わる「さんさ踊り」は悪鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石の神への感謝のあまり踊り狂ったのにはじまったという。

街中の静かな空間、私は普段忘れてしまっている神社だが、行ってみるとちらほらと
訪ねてくる人が絶えない。道路にタクシーを待たせての観光客もいた。
写真には写っていないが、向かって右側にあるお家から珍しい「豆柿」の大きな木が塀越しに枝を張り出していて、足元に実が落ちていた。子供の頃、青森県の祖母の家の前にもあった木で、雪の上に落ちた実を拾って食べたものだった。拾って口に含むと、忘れていた味がフアーっと甦った。
まだ時間があったので、そこから遠くない中央公民館に行って見た。
昔、南部藩のお薬草園だった所で、盛りを過ぎてはいたが、もみじの朱に
思わず声をあげた。池の水面に映る松の緑、鯉や鴨の動く様、ここも静かな空間だ。
40年も前、この庭の藤棚の下で、クラスメート達と夏の制服姿で写っている写真がある。みんな美しいピチピチ笑顔だ。卒業写真に載せる集合写真場所を各クラスで選んで決めたのだった。私たちのクラスはこの公民館の庭の池をバックに選んだのだ。写真撮影のあと、藤棚の下で一緒に散策していた仲間とスナップ写真を撮ったのだ。他のクラスは、上の橋の下の川原、岩手園の石垣をバックにした坂道、新しかった岩手県庁前、などで撮っている。40年前の写真だから、UPしてもいいかな・・・?
デジカメを持たずに出たので携帯カメラで撮ったもみじの写真と・・・
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母退院

雪の舞う寒い日だった。
看護婦長さんに、お世話になった看護士さんたち全員に渡ると思われる数のお菓子を
託しながらお礼を述べ、主治医の先生、4年前父を看取っても下さった院長先生にも
お礼のご挨拶して、母を家に連れ帰ることが出来た。
なかなか人になつかない猫が、ニャァニャァ鳴きながら母の後を追って嬉しそうだった。

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・・・の女

友人が女二人で 香川京子主演の
「東南角部屋2階の女」という映画を観てきたと伝えてきた。

若い時から黒澤映画に抜擢され、上品に歳を重ねて来られた女優・香川京子さんが
この興味あるタイトルの映画でどんな役を演じているのか限りなく想像が膨らんだ。
が・・敢えて検索などせずにおこう・・と思ったのは、しばらく想像するということを楽しみたいと思ったからだ。
一日中日当たりの良さそうなその部屋は一軒家なのか、アパートなのかマンションなのか・・東南角部屋と文字にすると何やら秘密めいた響きが感じられるのはどうしてだろう・・?
机の上に ここ数日、訳あって出しっぱなしにしている文庫本は去年読んだチェーホフ。「かわいい女・犬を連れた奥さん」。小説の中身は別として、タイトルはシンプルな、これも・・・女だ。
東南角部屋2階の女・・
私も悪戯心でタイトル遊びをしてみた。

「袋小路平屋の女」 「屋根裏部屋明かり窓の女」 
「三軒長屋一人居の女」 「願掛けお不動さん横丁の女」 
「忍ぶ峠蝦蟇沼の女」 「川端裏もっきり屋の女」・・・

リズムは悪いが 
  まだまだ できそうだ・・・・

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忙中 楽しみもあり

盛岡には昔からの呼び名の地名が今でも残っている。
材木町、鉈屋町、大工町、紺屋町、紙町など。
今日は葺手町(ふくでちょう)、肴町(さかなちょう)、生姜町(しょうがちょう)界隈を歩いた。
Photo_2 40年ぶりぐらいか・・?
高校生の時は何度かお汁粉やうどんを食べに友人達と寄った店、
食券をもらったのを機に、
生姜町にある「福富」さんというお店を訪ねて
入り口引き戸を開けて中に入ってみると、130年の歴史があるという時計が今も時を刻んでいるのが、真っ先に目に入った。
閉店は7時。6時過ぎに訪ねた時には女性店主さんは既に、店のことはお手伝いの女性に任せて、お友達と一杯楽しまれていて、
隣テーブルに席を取った私たちに昔のことなどいろいろ教えてくださった。
楽しいお話だった。
小上がりの畳敷きには、先客の男性が一人、私たちの会話に時折クックッと笑っている。長い年月、このお店はず~っとこの雰囲気でお客様を迎えてきたのだろう・・・。
「7時になるとこの時計、良い音で鳴りますよ・・」とのこと。
ならばぜひ聴いてみたいと・・・友人と田舎しる粉やワンタン麺を食べたほかに宇治抹茶金時練乳特製かき氷もお願いして 味わいながらその時を待った。                      005_2
やがてゆったりと、いかにもこのお店にピッタリの
音と響きで時計が 7つ 時を告げた。
それではこれで・・・また来ます。
聴き終わって満足してお店を後にした。

もらった食券は出せなかった。次にまた行こう。その時に少したくさん注文して使うことにしよう。楽しみを繋いだ食券2枚があるのだから・・。温かい 夜だった。
         

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退院近し

土日の一泊帰宅。
また母に付き添って実家で一泊した。
2週続けての実家泊まり。
正直に言うならば、実は実家に泊まるのは20年以上無かったことだ・・・。
父が入退院を繰り返していた頃はよく病院に付き添って病院の床や、個室の時は
椅子を並べて寝たりもしたが、実家に泊まったのは・・・もしかしたら
次男を出産して以来かもしれない。3番目の娘の時は帰らなかったから・・・。
だとすると・・30年も実家には泊まっていなかったことになる。
今回泊まるにあたって、私の心はしばし悩んだ。プレッシャーだった。
でも、心配の方が勝って、泊まったのだ。
結果、2度の実家泊まりは、心配したほどのことはなく、穏やかに?過ぎたように思う。
退院が近い。母は歳や病状を理解した上で、やはり家で暮らしたいと言った。
幸い軽い脳梗塞だったので麻痺も気がつかないほどで
日常生活には支障がないように見える。介護度が認定されて、ヘルパーさんをお願いすることになると思うが、私たち娘も今までよりは頻繁に訪ねたり泊まったりが必要になることと思う。
「幾つも部屋があるんだから、眞理子さん、一つの部屋をアトリエにしたら・・?」とは友人の提案だ。そうか・・・大抵は、実家に帰るというのは、息抜きや優しさを求めて・・というイメージがあるようだが、私にとっての実家は、神経を使い、緊張する所だった。
これまでも買い物や、父の月命日や病院診察と時間を取ってきたが、こうなってしまってはより頻繁に母への注意が必要と考える。
2階の4部屋は全く使われていない母の家だ。一番小さな部屋に、絵を描く道具を用意したら、母の家に、こだわりなく行けるようになるかもしれない・・
その昔、母は私に言ったものだ。「女は絵など描かずに、日常の身の回りの始末をきちんとする方が大事だ」と。これから私が絵を描きながら母の様子を伺う時間を持つとしたら母はなんと言うだろうか・・。「女は絵など描くもんじゃない」と・・・言うだろうか・・・?
今朝、朝ご飯の手伝いをしながら台所に立った私に母は言った。
「お前は忙しいのに、家庭的だな・・」と。昔は「家庭的じゃない!」とよく叱られた。
私自身はちっとも変わっていないのに・・・と 思うのだが・・・。

昨日の母との晩ご飯のメニューは
     ご飯、味噌汁(さつま芋、にんじん、玉葱、煮干だし)
     サンマ塩焼き、庭から抜いた大根おろし、
     ほうれん草、菊の花のお浸し(どちらも庭から摘んだ)
     ほっき貝
今朝のごはんのメニュー
     ご飯、味噌汁(母のお通じのためさつま芋は欠かせない)
     生椎茸と葱焼き
     ソフトみがき鰊焼き、大根おろし添え
     ほうれんそう、菊の花
お昼は夕方病院に帰るため
     残りご飯(小屋から持ってきた梅干入り)味噌焼きおにぎりほか・・・

ささやかだが充分美味しい食事だった。味噌や醤油や塩の使い方を見た母が私に言ったのだ。「こまめに良いご飯作っているお前は家庭的だ・・」と。

Photo
この花の名前は判らない。
エーデルワイスの一種か・・?
8月に山に咲いていたという花。

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One cannot not communicate

人はコミュニケーションせずにはいられない
コミュニケーション論のレポートが終わった。

まだまだ・・1000字以内で論じたり、答えを書かなければならないことがいっぱいあるが
長年関わってきたことについての問題になら、テキストを読まなくても答えは書き込めるということが分って、やってきたことは力となって身についていたのだとあらためて実践の強みを感じた。

今日は良い天気だった。
澄んだ空気に 四方の山々が晩秋の色調を袖を広げるように見せてくれて、
母に洗濯物を届ける前に、ほんの1時間、
しばらくぶりに私は深く息を吸いに郊外に走った。

20081113















今日は ふっと また
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を思い出した。
高校時代、紺屋町にあった「国劇」という名前の映画館で
強烈な印象を与えられながら観たヒースクリフとキャサリンの物語は
今でも時々思い出す。

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食用菊

005 毎日、食べ物の話ばかりだが・・
母の庭から摘んできた菊の花。元気の出る黄色
ほぐすのが一手間だが茹で上げている時の
部屋中に満ちる菊の香はとてもいいものだ。
歳とともにこの季節に欠かせない食材になった。
今秋、何度茹でたろうか・・?
お浸しにしても胡桃和えにしても美味しい。

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コッコッ コロッケ

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月曜日と木曜日の朝
白い軽トラックで農家のお母さんが野菜を売りに来る。
昨日は白菜とジャガイモと人参をもらった。
白菜には虫がついているし、人参は時々割れているし・・・でも、そこが良い。
買ったジャガイモと人参を見ていたら突然、コロッケを作りたくなった。
お昼に間に合うようにと即、茹でた。玉葱をみじん切りしてフライパンで炒めて
一緒にして塩・胡椒で味付けした。冷凍庫に枝豆があったのを思い出してそれも解凍して加えた。
第一弾は小さめにまとめて油で揚げた。
第二弾(写真)は厚くて大きなコロッケになった。
少し味にバラつきがあっても正真正銘手作りコロッケだ。
みんなが 美味しいと食べてくれた。

昨日の夕方4時ごろは盛南大橋から三山の 箱が森 より ずっと岩手山寄りに日が沈むのを見た。辺り一面穏やかな淡いオレンジ色に染まり思わず「きれいだよ~」と声をあげた。夜は夜で冴え冴えとした空に星が落ちてきそうに輝いているのを暫し見上げた。

私には こんな時間もある・・・。


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母は10月23日入院以来はじめて一泊帰宅を許された。
一人では心配なので、一日母に付き添った。
暖房管理にだけは特に気を使い、その他は、母の様子を手を出さずに見守った。
朝の大掃除だけは私が買って出た。額縁の裏、戸棚と戸棚のすき間、ソファーの隅も時間をかけて汗が滲むくらい念入りに掃除した。
母は割烹着をかけて台所に立つのが嬉しそうだった。
庭から摘んだほうれん草、菊の花のおひたし、抜いた大根のおろし、芋の子やさつま芋、人参の入った味噌汁などをご馳走になった。
私は数日前から、庭の柿が気になっていた。いつ頃採ればいいんだろうと・・。
今日母にきくと、もう採ってもいいころだなぁ・・と答えたので、母が昼寝をしている間に、脚立を出して採り始めた。去年大分枝を切り払ったので、今年は去年ほど数は多くないが、実の大きさは見事なものになった。ここ数年、柿もぎは息子に頼んでいたけれど、なんだか今日は一人で出来そうな気がした。てっぺんの方の実は脚立の天上に乗っても届かないので、神様へのお礼、鳥達へのおすそ分け、留守番柿・木守柿・・だ。
私は柿が大好きだ。だから柿が気になる。実際取った柿の実の半分は私の口に入っていると思う。渋を抜いたのも、干し柿も、そして厳しい寒さにさらしておいただけのペチャペチャと柔らかくなった柿もどれもとても美味しいと思う。今日とった柿は箱に入れて積んだままにしておいて一週間ぐらいしたら、渋抜きや干し柿の作業を始めようと思う。いつも思うことだが味の記憶というものは不思議なものだ。柿の中で一つだけ再現できない味がある。子供の頃、三戸の祖父が大きな大きな木の樽に柿を塩漬けしていた。樽に張った氷をパシャパシャと割って取り出してくれたコリコリした塩味の柿がとても美味しかったように憶えている。懐かしい人たちを思い出す時に、懐かしい食べ物の味と一緒に思い出す・・と言うのは、私がいかに食いしん坊かということを表しているような気がする。

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私の作る中華そば

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時々、中華そばが食べたくなり、マーケットで以前は5玉入れだったが、最近は4玉入れになった麺が安売りの時は2袋買ってきて中華そば・・今風には・・ラーメンを作る。義母が大好き。私も大好き。
塊肉をチャーシュー用に炒めて、それと一緒に丸ごとの玉葱、丸ごとの大人参、昆布、煮干でスープを作る。トッピングはワカメ、メンマ、ゆで卵、など・・。肉をスライスし、人参も薄くスライスして、上にのせる。
義母曰く。「お店で食べるラーメンより、眞理子さんが作ったラーメンが一番美味しい」と。
朝のうちに「今日はラーメンよ・・・」と言っておくと、義母はご飯をセーブして、ラーメンタイムを心待ちにしている。
昨日はこのラーメンのほかにカボチャ、花豆、漬物、そして前日残しておいた具を包んでエビ餃子を焼いた。

今夜は実家の母が一晩外泊を許可されて家に戻る。もう既に4時にすぐ下の妹が家に連れ帰っていることだろう。一番下の妹がその後家による予定。昨日、病院で会った時「おネエ・・悪いね・・。遅く来て良いからね・・」と言われた。妹からバトンタッチして一晩母の所に泊まり、明日夕方病院に連れ戻すまでの私を気遣っての言葉だ。精神がヤワな私だと認めてくれている言葉に 救われる・・。勉強道具を持っていこう。提出しなければならないリポートの期限が近付いているから・・・。

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上弦の月

Photo 先日、友人達と花巻市にある
マルカンデパートというところに行った。
なんでも名物ソフトクリームがあるとのことで・・。
昭和40年代を彷彿とさせる品揃えのデパートの
最上階の食堂で食券を買って待つこと暫し。
値段も140円で、やっぱり一昔前の・・と思っていたが
ジャ~~ン!
テーブルに配られたソフトクリームは・・・こんなだった!
ビックリを通り越して 可笑しくなった・・・。
そして更に・・このソフトクリームは、テーブルにセットされている割り箸を取って、割り箸で食べたのだ!
周りの人たちもみんな割り箸で食べていた。
「割り箸で食べるソフトクリーム」だと・・・。
たっぷり2人分はあるソフトクリーム・・私は平らげた。
頭の中でチラッとカロリーのことを考えたが、このほかに
330円の中華そばも食べた。
窓際で暮れなずむ街の少しばかり景気の悪さを感じさせる通りを見下ろしながら、それでも友人たちと過ごす時間の楽しかったこと。
半分残してギブアップした友人もいたが
その残したものを引き受けて一個半食べた友人もいた。
おもしろかった・・
難しい話は無し・・
アハハアハハと同じものを食べあう・・ただそれだけで
楽しかった・・・。
3年前の写真をもらった。・・いや・・もう4年前になるか・・?見た友人は、やっぱり若かったネ・・と言った。心が少しズキンとするじゃないか・・・
いろんなことがあったよ・・・3・4年のうちには・・・
いいことも、悪いことも・・いっぱいね・・・。いつも顔を合わせている友人達とはさほど感じない歳の移ろい。4年前の写真をもらって4年前の自分と対面して、初めて心中穏やかでないものを感じる。でも・・まぁ・・・仕方がない・・・。
4年後の私にとっては今の私は羨ましくも若いはずなのだ・・・。シミもシワも増えているかもしれないが・・中身は変っていないよ・・・。
母の洗濯物を抱えて帰ってきた夕方、ブルーグレイの空に半月がきれいだった。
あの風景とあの建物と・・キャンバスに絵を描くとしたら・・と時々イメージを作り考えたりすることが多くなった。心象画の中に描き入れたいお月さまだなぁ~~と・・・今日は空を見上げた。そんなふうに考えられる私は・・・まだ 《ダメ》ではない筈だ・・・。なんとなく穏やかな精神状態。
そう・・まだまだ だいじょうぶだろう・・。ありがとう・・が口をついて出る。
これを書いている机からふっと目を上げると あら・・カーテンの隙間から同じお月さまが明るく輝いて見える。 お月さま・・・あのね・・・・


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岩手山

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1日。一番目の写真がお昼頃。林檎のAさん所から下りて来て・・。
ここから半日、岩手山の右側方向へ移動することになった。
2枚目は種畜牧場付近から。3枚目は啄木のふるさと、渋民村、歌碑のある所から。
最後は江戸時代、岩手山中腹から流れ出た焼走り熔岩流から。
盛岡から見る岩手山は「南部片富士」と呼ばれるが、3枚目の啄木が故郷で見ていた岩手山はシンメトリーの形をしている。
網張り温泉側からはちょうど反対側になる 延々と続く熔岩流の脇には幾つかある岩手山の登山口の一つ(焼走り登山口)がある。
盛岡近郊、どこへ行っても 岩手山が見えるのだ。
運転しながら「お~~い・・岩手山~~!」と呼びかけることになる。
熔岩流のそばにある「焼走りの湯」に入って外に出ると辺りはもうすっかり暮れていた。

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おめでとう

2008111_002 おめでとうが重なる・・・。

Sくん おめでとう。
健康で大きくなってください。
《笑顔》が いつも 
そばについていてくれますように・・・と・・
心から願っています。

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