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2008年5月

葉っぱが好き

Photo 葉っぱが好きよ・・。なんでかな?どれが好きといえないくらいの数多の色の中で、葉っぱといえば濃淡の差はあれ、グリーン。
見回してみれば家の中に特別ビビットな色の無いことに気がつく。気に入ったコップや入れ物に緑の葉っぱがあるだけで満足してしまうのは、考えてみれば昔からのことだ・・・。ミントの葉を摘んで投げ入れた。

Photo_2裏のフサスグリ。葉っぱだけこんなふうに小さな漬物用の瓶に入れた。トイレの棚にはガラス器に斑入りのアオキ。たまに水を取り替えるだけでいつまでも元気。終いには器の中で立派な根が生えてくる。嫌われ者のドクダミの葉も面白い。白い花なら邪魔にはならず、匂いだけ少し我慢して器にいれて形を楽しむ。鉢のポトスは先端部分がだらけて長くなる。思い切ってカットして根ある節ごとに短く切って幾つものコップに並べる。時々やってくる友人は「私もやってみるネ・・」と言うからコップのポトスを分けてあげる。ちゃんと元気でいるかナ・・・?4・5日に一度くらい、コップのぬめりを洗いながら水を取り替えるだけ。特別な栄養薬もやっていない。面倒くさがりの私には、葉っぱだけが相性がいいのか。玄関の下駄箱の上にはバリから500円で買ってきた手彫りのカエル。現地の人たちはこの頭の上に葉っぱをのせ神様へのお供え物を置く。お米だったり花だったり。高さ16センチの柔らかい石で彫られたこのカエルをタオルに包んで持ち帰った。買ったケーキが入っていたガラス容器にオリズルランを入れ、カエルの頭にのせている。Photo_3 時々は小さな花が入ることもあるが、そうなるとしょっちゅう気をつけて花を入れ替えなければならない。やっぱり面倒臭がり屋なのダ・・私は。これも気がついたときだけ水を取り替えるだけで・・この葉っぱはもう何ヶ月このままだろうか・・?Photo_4あまり色気の無いことを書いたので玄関先や狭い庭に勝手に咲いている小さな花たちをコップに挿してみた。やぁ・・カワイイじゃないか・・・。滅多にしないことだけれど・・活けてみるとやさしい色合いだ。殆どは宿根。去年あまり咲かなかった白とピンクの花は今年はいっぱい蕾をつけて咲いている。勿忘草と咲き残っていた白い山吹、青い花だけが今年鉢に植えた一年草。うん・・・?名前・・・?白もピンクも・・わからないよ・・・。あとで調べるサ・・。花殻を摘むこともしない。放っておいても咲いてくれる。だからきれいね・・と声をかける。今朝はピンクの小さな蔓薔薇が咲いていた。

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ユリノキほか

この時期は 花が いっぱい いっぱい・・・美しい季節だ。秋もいいが、私はやっぱり新緑の5月が好きだ。大きなユリの木。葉の形から半纏木とも言うらしい。睡蓮、黄色い牡丹、ベニバナトチノキの写真を並べておこう・・。
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ハクウンボク

岩手大学構内。ハクウンボクが咲いていた。木と真横で見えない案内板と花の写真を載せてみよう。カメラを向けているときも、「すがる」かどうかは判らなかったけれど黒い蜂のような虫が飛び回っていた。美しい木だ・・・。
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手紙

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懐かしい丸っこい文字。イタリアのPatriziaからの手紙だった。訪ねて行ったマンマの家は売りに出ていて、管理人室のCarlaはPatriziaはフィレンツェに行ったと私に告げた。住所を探してもらったが、あるはずだと言いながら引き出しをかき回しても彼女の住所を書いたメモは見つけられなかった。私はガッカリしたが、納得した。私と同い年だが、結婚しなかったし、子供もいなかった彼女。一人っ子でマンマAnnamariaに死なれてさぞかし大変だったろう・・。縁があるならいつかはまた手紙が来るだろうし、来なければそれでも仕方が無いと思いながらイタリアから帰った。「マリコ、新しい住所を送るから待っていて」と・・手紙はPisaから届いた。猫好きの彼女、お父さんも生きていた若い頃は庭付きの家でGeeという名前の黒猫をはじめ数匹の猫を飼っていた。手紙の結びの言葉は with Love  Patrizia

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なんじゃもんじゃの木

地元の新聞「盛岡タ○ムス」には身近な話題が豊富だ。大学の構内で「なんじゃもんじゃ」の木が満開だと報じていたので歩いて5分、早速散歩に行ってみた。この木の正式名称は「ヒトツバタゴ」というモクセイ科だとプレートに書いてあった。木に雪が積もったように見えることから「雪の花」とも呼ばれるようだ。大学構内には137科580属800種類の植物があると書いてあった。いろんな花をゆっくり見て歩いたが、新聞記事のせいか、リュックに帽子、立派なカメラを抱えたゆとり世代と思しき人たちがたくさん散策していた。
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初めての道

茅葺の立派な家があるというので行って見た。南部曲がり家、ほんに立派な家だった。
周りの田んぼには水が入り稲が植えられ、日本の原風景ともいえる景色は心が安らぐ。
帰り道は欲張り心が頭をもたげ、角を曲がり初めての道を走り進んだ。どこに出るかわからない道を、卯の花やウツギの花、道の両側を縁取る山蕗を見ながらくねくね道なりに進み 山を越えて、峠を下りゴルフ場の脇を過ぎると視界が開け、美しい岩手山が高倉山に沈む太陽の朱の色を浴びながら 待っていた。
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タラヨウ 貝多羅葉

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これはタラヨウという葉っぱ。押し葉にした年月日が葉裏に2006 6/7とボールペンで書いてある。勿忘草も一緒に2枚の葉を額に入れている。4月に訪ねた神社のタラヨウだ。そこで初めてタラヨウという葉があることを教えてもらった。硬くて大きな葉っぱだ。写真は押し葉にした葉を入れている額のガラスに反対側のガラスの色が反射してる。このタラヨウを押し葉にした後、私は2006年7月20日号の「サライ」という雑誌を買った。特集が”この世に生きる意味を問う「般若心経」”と表紙にあったのを偶然目にしたからだった。本の中で、「色即是空」の真理を繙くと ひろさちや さんが仏教を解かりやすく書いてくださっている。父の眠る報恩寺は曹洞宗のお寺。私は般若心経を理解したかった。そしてパラパラとめくったページに私が名前を知って 押し葉にしたばかりのタラヨウという葉が 載っていたのにビックリした。本の中の写真に添えられている解説をそのまま書いてみる。”「世界最古のサンスクリット語写本」として法隆寺に伝わった「貝葉梵字般若心経」(実物大)。貝葉は、貝多羅葉(ばいたらよう)というヤシ科の植物を指す。紙がない時代、葉を乾燥させて書写したのである。インドの仏典の姿をとどめる貴重な資料で、玄奘はこの形で多くの経典を持ち帰ったのだろう。 (東京国立博物館蔵)”。私が押し葉にしたタラヨウはこんな凄い葉っぱだったのかと驚いた。2ページに渡って文字が書かれていて、「実物大」と書いてある。ものさしを出して測ってみると26センチあった。私が押し葉にした葉は18~9センチ。暑い国や地方では植物の葉も大きいのだ。抜粋を続ける・・。”「般若心経」はインドで誕生し、古代インドのサンスクリット語で書かれていた。20066
誰が、どのようにして編纂したのかはわかっていない。やがて中国に伝わり、漢文に翻訳された。ー略ー漢訳は7種が現存するが、広く流布しているのは「西遊記」の主人公、三蔵法師として知られる玄奘の訳である。玄奘はインドから持ち帰った数多の経典を翻訳した。それは唐代初期の国家事業で、翻訳が終了すると原典は処分された。そのため、中国には玄奘の訳した「般若心経」に相当するサンスクリット語写本は残っていない。インドにも、他の国々にもない。ところが経緯は不明だが、わが国に伝わっているのが興味深い。”と書かれてある。押し葉にしたタラヨウはパキンとしっかり板や紙のように硬い。はるか昔から文字が書かれ、文化や心を伝える手段として使われた・・と思えば限りなくロマンを感じる。私は美しい花はもちろん大好きだが、どういうわけか葉っぱの方により強く惹かれる気持を感じてきた。下の写真は報恩寺の前庭のタラヨウの木。
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今日は母と

父の月命日で報恩寺へ。事務所に今年度分の会費を納めに行くと「御用の方は中でお待ち下さい」とガラスに筆で書かれた張り紙がしてあったので、中の長椅子でしばらく待ちながら、ぐるりと辺りを見回した。張り紙は座って見ると広告紙の裏だった。なぜかふっと宮沢賢治の「下の畑に居ります」の言葉を思った。この辺りはまだまだこんな調子だ・・。コーヒー豆屋さんに豆を買いに行ってさえ、時々ガラス戸が開いていて「只今配達中。腰かけて暫くお待ち下さい」のボール紙が下がっていることがある。ひとりで店を経営している店主は店の前に白い車が無いと配達中なのだ。棚にはたくさんの商売モノの豆が並んでいる。100グラム900円もするブルーマウンテンからだ。時々、先客が帰りを待ちながら本を読んでいるのに出くわす。東京で不発弾を処理するために全ての住民に避難命令が出されたときのテレビ映像の中に家を留守にする人が窓を壊されて空き巣に入られないようにとガラスにガムテープで目張りをしているのを見て大変だなぁ・・と思ったものだった。
お寺の事務所の、古い調度品、机も戸棚も、ピッチリと整理整頓されて、埃も無いような清潔な空間だ。中庭の木々を見ながら、心は参禅しているように静かになった。それぞれの庭から石楠花、ミヤコワスレ、なでしこそれにカサブランカまで持ち、今日の父のお墓は豪華版だった。お墓のあとは夕方まで、茄子やトマト、ピーマンの苗を買い、大型店で一週間分の買い物をし、庭に花を植えたり、ウルイや蕗、ニラを切り採り もらい、母と過ごした。

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新緑の中、温泉へ

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盛岡から車で40分。新緑の中、80歳のAさんを乗せて鶯宿温泉の最奥、C館へ。大きな旅館だが日帰りの温泉だけも受け付けているとのこと。Aさんが何年か前行ったことがあり、いいお湯だよというので、私にとっては初めての温泉場。しっとりと静かで、日帰り温泉の喧騒さがない。造りも備品もいいものばかり。「小町の湯」の看板の女湯は大浴場のほかに木製の風呂、その奥に写真の露天風呂が続いてあった。豊富な湯量、天然温泉掛け流し。
奥羽山脈の両側には数え切れないくらいの温泉があり、まだまだ知らない温泉があることを知らされる。脱衣所で大船渡から2時間半かけてお風呂に入るためにやってきたという母娘と話したら、ここには何度も来ているとのことがうなずける温泉だった。私が車を出し、入湯料800円は私の分もAさんが払ってくれた。しょっちゅうAさんに付き合えるわけではないが、一人暮らしのAさんに、たまに時間がとれて私もお風呂に入りたい時、「行きますか?」と電話をすると、朝からその時間を待っているとのこと。ちゃんと時間を言ってあるのに、待ちくたびれてウトウトして煮物を少し焦がしてしまった話をしていた。助手席に乗せても気にならない人、口数も少なく、たまの誘いを心底喜んでいる様子が静かに伝わってくる。義母は温泉が強すぎると気分が悪くなる。母とはお風呂だけでは済まない。私はそれぞれに時と場を考えて接している。いつまでもそうは言ってられないだろうけれど、今しばらくはそれが許されている状況をありがたく、少しでも長く続いてほしいと願っている。Aさんは、夫もお風呂に連れて行くことがあるけれど、夫は長湯をしないので、Aさんとしては、私と行く方がゆったり出来て楽しいに違いないと・・・私は思っている。

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ホタルカズラ

またホタルカズラの季節が巡ってきた。私の大好きな瑠璃色の花。

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ささいなことで

揺れる。心も身体も。歳を重ねて最後には「これでおしまい。あぁおもしろかった」と言えたらどんなにいいか・・と思いながら、昨日ご飯仕度をしていて茄子のヘタを取る時に棘を刺してしまった。小さな小さな茄子の棘は右手の親指先の腹の部分にポチッと黒く見える。触ると痛いし気になって左手で待ち針を持って棘を抜き出した。一ヶ月ほど前から両膝が痛くなって整形外科に行きヒアルロンサンを一週間に一度ずつ注射してもらってもいる。5回であとは様子を見ながらと先生には言われているけれど、一度こんなことがあると、今までのように自分の頑丈さを過信していられなくなる。歯が痛くても、どこかが痒くてもどんな些細なことでも気になるのだ。これからはどんどん気になる部分も増えていくことだろう。・・・・こう考えると目が臥しがちになる。些細な言葉が気になったり、心が揺れるのは降り出した雨のせい・・ということにしておこう。夕方から夜にかけては雷も鳴るとの予報。子供の頃雷が鳴ると、蚊帳をつって中に入ったり、押入れに入って耳をふさいでいた。雷が鳴り出すと、今でも傘を差して外が歩けなくなる。笑顔になるのもあっという間、些細なことで「嬉しそうな顔をしているね」と言われ、些細なことで下を向いてもしまう。心だけは子供のまんまだと、仕方がないなぁ・・とため息を吐く。窓外には前年の雪害で咲けなかった石楠花が雨に揺れてきれいに咲いている。
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岩手大学構内 ハンカチノキ

8日の地元紙Mタイムスに岩手大学構内でハンカチノキが風に揺れていると書かれていた。記事に依れば、この木は村井貞充名誉教授が自宅で10年間育てた若木を95年に植樹。2年前に始めて開花したとある。中国西南部原産で白い長短2枚の苞葉が球状の花を守るように付いていてハンカチに見えることから「ハンカチノキ」と名付けられたとのこと。構内の森の殆どの木にはネームプレートがつけられている。そばに寄って見ると正式名称は「ダビディア鳩木(はとのき)」と書かれてあった。ひょうたん池のそばの旧盛岡高等農林学校時代の、今は資料館になっている建物のすぐ後ろで屋根の高さの木になり風にヒラヒラ揺れていた。Photo 今の時期、構内は花盛り。数え切れないくらいの草木があって名前は容易に覚えられないくらいだが、メモを取りながら歩いた。クロバナロウバイ、キングサリ、五葉ツツジ、カリン、キリ、ボタン、ウゴツクバネウツギ、シャガ、カラタチ・・・我が家から歩いて5分、街中のオアシスだ。カリンの花の可愛いピンク、カラタチの鋭い棘。帰りの通用門のそばでカラタチを見て、「カラタチの花が咲いたよ~♪」と歌いながらの帰り道だった。また行かなければ見逃してしまう花がありすぎる。昨日撮って来た写真、載せてみよう。

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あっちゃん

2歳半違いのすぐ下の妹を私たち兄妹はこう呼ぶ。夫と行ったすぐ近くの居酒屋でお友だちと来ていた妹とバッタリ出会ったのはちょうど10日前のことだった。その時少しだけ話したなかで、彼女が仕事の合間に独学で短歌を書き始めていることを知った。サークルにもグループにも属さずにここ2・3年新聞や雑誌に投稿していたらしい。もっともお友だちが短歌の決まりごとなどを教えてくれたから・・とは言っていたが、昨日新聞を読んでいて何気なく「第24回啄木祭短歌大会」が前日にあって、130人が参加し、191首を詠んだとの記事に目が留まった。読むと、啄木祭賞、盛岡市長賞、岩手県歌人賞などと共に各新聞社賞が選ばれていて、その一つに妹の名前があった。はぁ・・頑張っているんだ・・・と驚いた。夜、おめでとうの電話をかけると「丁度オネエに電話しようかなぁ~と思っていたところだったから、かかってきて、ビックリしたよ」とのこと。いろいろ聞くと去年も新聞などに29首が活字になって取り上げられたのこと。派閥などがあるようだから今後もどこにも属さずにコツコツと続けていこうと思っていると話していた。母も下の妹も誰も知らないことだ。偶然の居酒屋が私にそのことを教えてくれたのだ。居酒屋で背中合わせになった彼女の可愛い笑い声が今でも耳に残っている。コロコロと笑う彼女に「楽しそうで・・良かったな・・」と素直に思った私だった。短い文字が自由自在に深くなったり広くなったりする俳句や短歌に私も興味を持ち始めたばかりだが、如何せん、ルールの一つも知らない。読んで感じることは出来ても詠むことが出来ないのだ。かといって・・・あっちゃんみたいに勉強もしていない。新聞に取り上げられている妹がいることを知ったのだが、教えてもらうことは・・・無いナ・・・。自分だけが解かればいいものと思っているからへそ曲がりなオネエに違いない・・・。花の歌が多いんだよ・・と言っていた彼女の今回選ばれた歌は・・・・「子の発ちし三月の家静かにておしゃべりしそうな花アマリリス」

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こどもたち・・いや・・

私のことを「まりちゃん」と呼ぶ孫たち。5歳のYちゃんと3歳のRくん。 いやぁ~こどもたちはパワフル。遊びに飽きることはない。投げるボールと水の入ったボール。水の中にはザリガニ。パパと散歩に行った池でパパに捕ってもらったと・・。パパはね・・子供の頃、弟とよくそこに遊びに行って、ザリガニ捕ってきたんだよ・・・。きみ達と散歩して・・Photo_2思わず手が動いちゃったんだね・・・・!
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こんな時もあるさ・・の続き

夕べパソコンを開けてタイトルを書いただけで、酔ってた私は何も書かないままパソコンを閉じて二階に上がり寝てしまった。本当にこんな時もあるさ・・だった(笑)。夫が昭和52年に設立した吹けば飛ぶような小さな株式会社は去年節目の30年を迎え、31年目に入っている。思い返してみれば、この間、取引のあった会社や個人の随分多くが倒産、夜逃げ、自殺、会社整理を行っている。先月、直接取引はないけれど よく知っている会社が二つ、破産手続きをして新聞に載っていた。「○○さんは自宅もみんな取り上げられたようだ」と夫が話していた。私がまだ独身の頃、社長さんがその会社を設立した頃のことを記憶している。人も自然も変る。変らないものはないというのが世の鉄則。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・」だ。形だけは株式会社だが、自営のわが社は整理はあっても倒産・・というのはない。小さな土地と社屋はローンが終わっている。手形を受け取ることはあっても、発行したことは無い。小さな商売だから、買い掛けで迷惑かける人はない。大きくなれない代わりに、危ない経験をすることもなかった。世の中の移り変わりで景気の悪い昨今は本当に苦しいやりくりをしてきたが、上司の顔色を見ることもリストラの辛さを経験することも無く来られた状況を、ありがたいと思っている。2月以降、新しい仕事が一つ増え、社員はずーっと残業続きだった。夫も土日も休めない日もあり、疲れははっきりと顔に身体に見て取れた。連休を前に昨夕、やっと「ごくろうさん」と仕事を終えてからしばらくぶりの一段落の飲み会があった。結婚後の設立時から会社の経理を任されて来た私は一番古い社員でもあり、彼と共に歴史を語れる者なはず。女房が大きな顔をして、事務所にいるのは厭なことだろうと、私は滅多なことでは仕事場に行かない。殆どの頼まれた仕事は家でこなせる。いわば雑用係。毎日毎日、昼も夜も我が家に帰ってきて、食事をしながら雑談、打ち合わせ、相談を受けてやってきた。ちょっと顔をだす・・?と言われていた飲み会だが、孫達を頼まれていた。夕べは下の子が熱を出した。早く寝よう・・といって寝かしつけて一人になってから、今頃みんな楽しくお酒飲めてるかな・・?お金はちゃんと足りてるかな?と思いながら、缶ビールを冷蔵庫から出してプシュッと開けた。350mlの缶ビール、私には多いのだ。お風呂上りに分けてもらうコップ一杯が私の適量。でも夕べは時間をかけて飲んでしまった。なんだか急に寂しい・・いや・・なんと表現していいか解からない感情が込み上げて「こんな時もあるさ・・」とタイトルだけ書いて後は酔ってしまって眠ったのだ。午前様だった夫は、今日ブランチを食べながら得意先の○○さんと○○さんも飛び入りでやってきた。電車通勤の女の子達はちゃんと帰したし・・新しく採用した男性社員の歓迎会も兼ねて楽しい飲み会だったよと話してくれた。次男が夫のそばで働きだして3年目。やっと一丁前になってきた感がある。「あんなに忍耐強いとは思わなかったよ」と夫が言う。夫は間もなく還暦。世間で言う退職の歳だが、幸か不幸か彼には退職はない。自然引退はもう少し先のことになるだろう。先週、生ビールが飲みたいと夫に誘われてすぐ近くの居酒屋へ行った。私のすぐ下の妹とバッタリ。こんな所で・・とビックリしながら少しだけ話が出来た。彼女も頑張ってる。一昨日は一番下の妹に電話したら珍しく在宅で、「今ひとりだから来て来て」と言われてリンゴのワイン煮をもって行って来た。車ですぐの所だが、彼女はキャリアナース。下には300人の看護士さんたちがいる。代弁者だから頑張らなければと二人の子どもを育てながら頑張ってきた。学会で日本全国、海外にも行く。創立記念日で病院が休みだからとスッピンでのんびりしていた彼女に久しぶりにコーヒーを淹れてもらい、父母の話や子どもの話しなどをした。向かい合って話す彼女はとても50歳になったとは見えない。「若いね・・」と言うと「オネエも・・」と返ってきた。最近父のことを思い出して寂しいと思っていたんだ・・と父のことを話す私の前でクスンクスンと泣いた。「長」と呼ばれる公的な彼女は、私の前で、ただの末っ子の妹だった。みんなそれぞれの立場で、悩み迷いながらも精一杯頑張ってる。これを書いていること妹に言おうかな・・?と思いながら、教えていない。拙い日記を書いていることはCさんそしてその後に白状して教えたAさんだけに伝えた。だから「訪問者」?はこの二人だけ。妹も含めあと3人ほど、教えようかな・・と思う人はいるけれど・・・私の心・・いろんな理由で、なかなか・・教えられずにいる。自分のためだけに書くこのブログに向かう時、いつも教えてしまった二人のことが気にかかる。尊敬するAさんと 気持わかるなぁ・・の・・Cさん、未熟な自分の感情をコントロール・セーブしなければならないと思う時、いつも思い浮かべる二人だ。・・・時間はここでストップ。変換間違いや段落など・・おかしいところは あとで直すしかない。時間はいつもどんなに急いでも突然プッツンと(外部的理由で)切られてしまうことが多いのだ・・・。あぁ・・・。

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こんな時もあるさ・・・

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