毎日が飛んでって

何も書けないまま半月以上があっという間に経ってしまった。022
11月になって孫たちがお泊りしにきた。R君は10月末で
5歳の誕生日を迎えている。誰かからお下がりにもらったというガンダムのなんとか?いうピュンピュン電子音の出るおもちゃを持ってきた。歳をとったなぁ~と感じたのは、その電子音が我慢ならない。子供は子供社会の中で、情報やら、状況やら・・それなりに興味も願望もあるだろうから、ババとしては「ダメ」は言わない。ちょっとお休みしよう・・といって「おはじき」を出した。お姉ちゃんはすぐに興味を持ち、040必死に練習をし始めた。Rくんも負けたくない。下手なりにトライ。
おはじきの小さなカッチカッチンの音は、耳に優しくホッとする。お姉ちゃんYはとうとう二日間おはじきに夢中になっていた。
しめしめ・・と私は思ったのだ。こんなのもありだよ・・は多分祖母の役目かな・・?大根やカボチャなどを食卓に出し、いろんな味もいっぱい覚えてほしい・・なども 口には出さないけれど意識・・いや・・魂胆として いつもわたしの胸の中にある。
近所の床屋さんに柴の子犬がやってきた。名前は「みかん」 メンコイ!メンコイ!
孫たちを連れて抱っこしに行ってきた。床屋さんのお兄ちゃんはお相撲さんのように見事に大きい身体・・お店を開ける前の早朝に この小さなワンコに引っ張られてダイエット散歩を始めたワケだ・・・。やさしいお兄ちゃんにお嫁さんがきてくればいいなぁ~と私はいつも思っているのだから・・オネガイ・・がんばってよ・・・みかん・・!!

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秋がいっぱい・・

020 夫がお呼ばれしたGホテルでのT会社設立50周年記念のパーティーのお引き物は東和町の日本ホームスパンの手染め手紡ぎのマフラーだった。岩手の小さな町のこの社の技術は世界的にも高く評価され、三宅一生など有名デザイナーの手によって、パリやミラノのコレクションに登場していることはすでに新聞雑誌で知っている。秋色のマフラーは、一本の糸を繰り織るように50年続けられてきたその会社の長い歴史に思いを馳せられ、とても立派で素敵な記念品だと感じさせられた。
*一週間前、クラスメートご夫妻に誘われて出かけたギターのコンサートの後、近くのN荘で行われていた夫妻の友人・加藤キナさんご夫妻の手作り作品展にも一緒に立ち寄ってみた。おもしろいな・・と思ったのは羊の毛を紡いで作った圧縮フェルトのちいさなストール。遊び心があって、おしゃれ心をかきたてられて一本いただいた。作者が一つ一つ何工程も思いを込めて作った一品もの。
*Salvatore Ferragamo のロングスカーフ。夏の終わりに娘が東京から送ってくれた。お友達が私にとイタリアからの一時帰国に買ってきてくれたものだと。自分では買うこともなかっただろう高くて手が出ないブランド品、フェラガモ。シックな色合い。これらを上手に身につけられるように・・わたし・・できるかな???
017_2 *数日前雲が多くても澄んだ空気の気持ちのいい日だった。016_2
周囲の山々はもちろんのこと、遠くの早池峰山もこの日はくっきりと姿を見せてくれた。
身近な岩手山はますます近く、山肌に 流れる雲の影を映し とても美しかった。

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台風18号吹き荒れる8日

027 孫は退院した。赤ちゃんには泣くことが運動だから泣かせなさい・・と看護婦さんに言われるくらい・・まぁよく寝てばかりいる孫よ。いいじゃない・・!?子どもたちの中で3番目の娘が嘗てそうだった。お兄ちゃんたちが走り回る中で、ゴンゴンとよく眠っていたっけ・・。大丈夫かと心配になって寝息を確かめたものだった。おっとり育った気がする。馴染みのK布団屋さんに、また黄色いミッフィー柄でベビー布団を作ってもらった。可愛くていい布団。小学校に入るまでは使えるはずだ。元気に大きくなって!退院する時もまだ決まっていなかった名前は今日になってやっと決まった。私が言ったことは「オッパイあげるとき、おむつを取り替えるとき、ママが赤ちゃんに呼びかけ出来ないのは困るよ・・。早く名前を付けてあげなさい」だけ。Rくん・・。名前が決まって良かったね。布団と一緒にママの実家に運ばれて行った。あちらのお母さんが疲れたら、今度はこちらに・・と言ってある。みんなに好かれて幸せに…と 願っている。

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願い

024 今夜は十五夜さん。7時過ぎに空を見上げた時は、雲が多くて、お月さまは「ここですよ~」と、やっと周囲の雲を少し光らせて居場所を教えていただけ。今さっき二階の窓から見上げると美しいお月さまがいた。昨日は、母に関するちっちゃなことで心を凹ませてしまっていたけれど、きれいなお月さまを見たら、思わず母に電話をかけてしまった。「お月さまがきれいだよ・・」と。母は「見えるか・・?」ときいた。庭から採った葡萄などを縁側に並べて母もお月さまを待っていたのだ。こんな小さなことで、心が結べる時もあるのに、どうしていつも想いが伝わらないことの方が多いのだろう・・。人って哀しいな・・。
明日は母の町内の公園の早朝草取りに行くつもりだ。
お月さまのように心澄まされるようなお顔で、4番目の孫が昨日、「初めまして」とやってきた。一度だけした検査で、女の子だろうとばかり思われてママのお腹のなかで大きくなった子は、「男ですよ~」と・・みんなをビックリさせたが、本当に穏やかな顔で、見入る私たちを笑顔にしてくれる。小さいけれど元気な・・2800グラム。当分名無しのゴンベさん。健康で大きくなって・・と願う。お月さまのやさしい光のような幸せが、この子に・・、先に生まれた孫たちに、友人知人の子や孫たちに・・そして遍く全世界の子供たちに届いてほしいと切に切に願った。

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夕焼け

047 今日の夕焼け

秋の空は きれいで

ためいきがでる

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「この本、良かったら読んでみて下さい」004 クラスメートがメモを添えて
持ってきてくれた。佐野洋子著「シズコさん」表紙をめくるとA新聞の
読書欄の紹介記事の切り抜きも貼ってあった。副題が「虐待、自責、贖罪・・・母と娘の深い闇」とある。シズコさんとは著者のお母さんの名前だ。友人は後日、この本が新聞に連載されていた時、こんな母娘の関係もあるのかと不思議に思いながら読んでいたと言っていたが、私はこの本を読んで、著者の気持ちが98パーセントは「解る・・解りすぎる」と思った。書評で精神科医の香山リカ氏は「著者を本当に苦しめたのは、母の虐待ではなくそういう母を好きになれない自分への自責の念だということだ」と書いている。母親のひどさを物語るエピソードはこれでもかと書き連ねられ、そのどれもが私にはよく理解できた。いかなる理由があるにせよ、著者の底を流れる自責の念は、母を愛せず、優しい気持が湧かなかったことにある。裏返せば愛されず、(愛されたかもしれないが、それを感じることができず)優しい気持が湧かないことにあったのだ。「母さんに触ることができなかった」と著者が書いていた行で、私は全く同じだと思った。母は、昨年軽い脳梗塞で入院し一ヶ月で退院してからは定期的に受診して、そのたびに付き添ってきた私だが、内科と整形外科の受診中に服をまくしあげたり、靴を脱いだりという動作がある。私は手伝って服や、靴をそろえる手伝いはするが母に直接触れることができたのは服の上からだけだった。しかも膝とか腕とかだった。ある時、一度だけ、忙しくて時間がとれずにすぐ下の妹に付き添いを頼んだことがあった。その時母が注射をされるとき、妹は母の肩に手を置いて、母にはそれがとても安心感を誘うものだったらしい。そうかもしれないと思った。これはどこから来るのだろう。私とすぐ下の妹は2歳半違い。母は妹を産むと、私のお守りに犬を飼い付けた。12歳で犬が死んだときのことは以前書いたが、私のそばにはいつも犬がいた。母は兄がお腹にいるときに兄の父に戦死され、兄が生まれた翌年に終戦。復員した父が数年経って子供のいる母に結婚を申し込んで私と妹二人が生まれている。女性としては辛い人生をくぐりながら、日々の暮らしをしっかりと生きてきた母は、87歳になった今も家を磨き、庭を手入れしささやかながら頑張って一人暮らしをしている。私には物を書く才能がないので著者の様に一つ一つを克明に表現することはできないし、仮にできたとしても、母の名誉?のために私の一方的な内的感情だけを書くことは憚られるが、とにかくもこの本は本当に嫌になるくらい解るのだ。本の最後の方では、母親を老人ホームに入れ、認知症の出てきた母親に添い寝しながら「ごめんね」という贖罪の言葉が出てきて、感情が爆発して許されたという思いが胸を満たしたと書かれている。・・私はまだそこに至っていない。母を老人ホームに入れることはしないだろう・・いや・・出来ないと言ったほうが適切かもしれないが・・その思いはあるが・・・今後のことを考える時、心からの優しさを添えて支えることができるだろうかとの不安はある。妹たちの知らない、生活習慣や、食べ物や物に関するあるいは周囲にかつて存在したした人々への母と共通の歴史的記憶・思い出は圧倒的に多いが、母がいなくなったら、それらを共有する人がいなくなる・・。著者は「こうして誰も知らない人になってゆく。何百億という人間はこうして消えてゆくのだ」と書いている。たしかに・・・自分のことを考えてみても、私という人間を知るのは、今私を「まりちゃん」と呼んでくれる孫たち・・そして、ラッキーに長生きできたとしたらそのまた子たちまでのことだろう。長いようだが加速がついて短くも感じられる人生を人はなんと悩みも多く抱えながら生きることであろうか。私は、メタメタと母に愛されたという思いが足りないようだ。では、自分の3人の子供たちに対してはどうだろうか・・?果てしなく思いが広がる。東京に住む娘が、私が下向きになると優しい声をかけてくれる。「自慢の母だよ・・」と。せめて小さな孫たちは、会ったときには抱きしめよう・・。健康で大きくなるんだよ・・と愛しい気持ちを込めて。この本を貸してくれた友人には感謝している。同じような感情をもって母親と向き合っている人が少なからずいるのだと思えることは救いだった。友人たちのどこまでも優しいお母さんの話を聞くと哀しくなったものだったから。そしてそのことが分かってから、少しだけ、ほんの少しだけ、私の中に母に対するゆとりが生まれたような気がする。買い物から、暮らしまで、結構ちゃんとサポートしているじゃないか・・・私、頑張っている方じゃない・・?と・・。母の横でテレビを見ながら「乾杯」を歌い胸が詰まって、母はというと母も「いい歌だ・・」と、涙ぐんでいたし・・。しかし、今日ふっと思ったことだったが母は娘たちに手伝いに来い・・とは言うが一度も曾孫たちに「会いたい」とは言わない人だった・・。今日は私の三番目の孫を連れて行き一緒に買い物を手伝ったし・・・母は孫にお土産にと庭の葡萄を採って持たせてくれた・・・まぁ・・よしとしようか・・・。何年か前までのように、母の家からの帰り道、車の中でオイオイ泣いて帰るようなことはなくなってきている。支えてくれる人たちに心から感謝している。ありがとう・・。
017 016

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星のない夜も

想いだけは
空駈けて行く

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手仕事

030 連休中日、2階の12畳間のガラスを拭き、障子張りをした。写真の障子2枚はまだ霧吹きをかけた状態。乾くと紙がピンとする。ついでにと、南面の2枚のカーテンを洗濯機で洗った。昔、誂えて作ってもらった遮光カーテンは長年陽に曝され何度も洗濯し、とうとう縫い目も金具付けの芯地までもが洗濯機の中でバラケてしまった。もうとっくに新しいものに取り換えていい年数を過ぎているのに、私はまだも捨てられず、窓辺にミシンを引っ張り出した。このミシンは結婚した時に、姑から「買ったけれど使えなかったから・・」ともらったジャノメの足踏みミシンだから、姑が買ってからは、かれこれ50年近く経つことになるのではないだろうか・・?子どもたちが小さかった頃の洋服や・・あれもこれも・・思い返すと数えきれなく いろんなものを作ってきた。生地が重なって厚くなった部分やカーブのきつい部分は、ひと針ずつゆっくりと手回しで縫う。電動ミシンは使えない。自分の手足で速度を調節できるアナログのマシンは私に合って「作っている」・・を実感させる。3時間。カーテンはもとの形に出来上がった。金具をつけ下げると開けた窓から風が入り、カーテンをボワ~ンと膨らました。やったね・・・♪気に入った物は捨てられない私だ。どんなに古くても・・。
006 015 020

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R くん

004 014








小学校一年になったYちゃんと保育園児R君。この子R君は今時珍しいくらい、田舎ボンズの風貌だが、はにかみ屋でメンコイ。昔、息子たちがそうだったように彼は今、虫きちがい。夏には「つなぎ」まで行ってクヌギ林からクワガタを捕ってきた。本屋で見つけて買っておいた「切り紙 昆虫館」という本をあげるとさっそくカブト虫作りが始まった。「本を切ったら一回しか使えないから、紙に鉛筆で写したら何回でも何匹でも作れるよ」とそれだけアドヴァイス。彼らは、我が家に来ると、いつもすぐ紙と鉛筆ハサミを取り出すからおもしろい。お姉ちゃんは、昨日は本読みに夢中だった。昔、彼らのお父さんたちが子供の頃読んでクタクタになってしまっている本、(昭和50年代後半発行の本)「昆虫のくらし」「昆虫のひみつ」「イソップえばなし」などだ。今は東京に住んでいる娘が中学を卒業した頃、子供たちが通ったK小学校で第二図書館を作るので家庭で眠っている本を寄付してくださいとのお手紙をもらって、たっくさんあった絵本などをほとんど寄付したのだったが、今になって、残しておけばよかったな・・と思うこともある。そのころは「孫」のことなど考えられなかったのだ。特に思い入れのある本、そしてこれら昆虫の本のように読みすぎて擦り切れてしまった本だけが今も残っている。
このR君先日保育園のリレーで二人を追い抜いてトップで走った。ジジは「ご褒美あげるから考えておいてね」と言っておいた返事が「もっと速く走れるズックが欲しい」だった。昨日プロスポーツに一緒に行って、彼らの好きな色のシューズを買ってやった。18センチと19センチ。「はやく走れる・・」と箱を抱えて嬉しそうな顔に 私たちも 嬉しかった。

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どらいぶ

012 わたしには こんな時間もある。
だれも 知らないから・・
せめて 秋の空にでも・・見ててほしいと思う。

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